1年前、「無添加食品を広めよう」の大塚さんが書いて下さった文章です。

1年前、「無添加食品を広めよう」の大塚さんが書いて下さった文章です。
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父の背中、職人気質
パンは戦後、発酵食品から工業製品に変わってしまった。そしてパン屋の社長も、昔は、男気があって、義理人情に厚くて、情熱的だったのが、今では、金の計算が上手くて、添加物の使い方が上手くて、人材は使い捨て、お客さんへの受け狙いが上手く、でもお客さまへの裏切りは平気、口だけは達者になってしまったと、魂の無添加パン職人・廣瀬満雄さんは言います。
廣瀬さんの人柄をよく表しているエピソードが2つあります。
70年前の食糧難の時代に、パン職人だった廣瀬さんの父が、労多くして病弱だった母親のために、闇市でバター、牛乳、小麦粉を調達して最高級の食パンを作ろうとしました。酵母は米から起こし、毎晩一緒に布団に入りました。生地は手でこねました。やっとのことで完成したパンを携えて、正月の帰省の汽車に乗りました。車内に立ち込める良い香りに、特高警察が気がつき、精魂込めた食パンは取り上げられ、没収、廃棄され、物資統制令違反で検挙され、厳しい取り調べを受けました。子が親を思う気持ち、食に対して真面目に取り組むパン職人の危険をも顧みない気持ち、それを再現したのが、廣瀬さんの作る5000円(3斤)の高級食パンです。親子二代に渡っての魂の作品となりました。
20年以上前、廣瀬さんはドイツにパンを見に訪れました。ある田舎町で、パン屋のおじさんが作る本物のシュレトンに出会いました。全然味が違っていたのです。
「今は嘆かわしい。酵素剤、発酵促進剤、乳化剤、香料、安定剤などを盛りだくさん使って、安くて大きくてスカスカのものが、お客さんに好まれている。パン職人は楽して儲けようという魂胆だ」とおじさんが言いました。
シュレトンの味に感動した廣瀬さんは思わず「このシュレトンの作り方を教えてください。授業料は払います」と言ってしまい、おじさんを怒らせてしまいました。技術を買う。職人が職人に言ってはいけない禁句でした。廣瀬さんは、それから毎日、早朝からおじさんを訪ねました。しかし門前払い。5日目、ついにおじさんは廣瀬さんを家に招き入れてくれました。廣瀬さんは、それから10日間通って、シュレトンの作り方を教えてもらったのです。おじさんは廣瀬さんに言いました。「生地を捏ねるときは余計な事は考えるな、自分の家族のことだけを考え、このシュレトンを食べて下さるお客様も、幸せになりますように、とだけ祈りなさい」今でも、それが廣瀬さんのパン作りの原点になっています。
業界の圧力で絶版となった廣瀬さんの本「今、パンが危ない」の中にこんなセリフがあります。
私は、食品を扱うすべての企業に言いたい。
「あなた方は、そんな食品を売りさばいて自分に言い訳をして、恥ずかしくないのですか?」

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