年内の営業もあと一日となりました。

年内の営業もあと一日となりました。:

皆様からお預かりしているベーカリー・デッセムの営業も、年内あと一日だけとなりました。開店して1年4か月の間、私たち夫婦は無我夢中で働きました。思えば東京西荻のお店を閉めてから4年。皆様のお蔭でこの山梨県富士川町に移住し、パン職人として再スタートを切ることが出来ました。この富士川町に越してきてからというものの、地元の方々には本当によくして頂き、まるで何十年ものお付き合いをさせて頂いた旧知のごとく、昵懇のお付き合いをさせて頂いております。よく移住者に対する「イジメ、冷たい態度」と言う言葉を耳にしますが、それらがどこの世界の話かと思うくらい良くして頂いております。

例えば、東京から移住して以来、「野菜」と言うものを買ったことがありません。昼間は留守にしておりますのが、その留守の間に顔見知りのご近所の方が玄関のドアノブに袋に入った野菜を下げておいて下さいます。葡萄に時期は葡萄、そして今は干し柿の時期ですから私の大好物の干し柿を買ったことが無いのです。パン作りにおいてもその原材料の確保には、地元の方々のご協力を頂戴しております。当店で使用している自然酵母は、東京にいた時はビール種で作っておりましたが。今は葡萄種です。その葡萄も近所で大変良くしてくださっている生産農家の方から頂戴しています。

このオバサンとオジサンがちょっと変わった方でして、いつか私が「葡萄のお金を払わして下さい」と申し上げたら、「完全でない葡萄をパンと言う形で蘇らせてくれているのだから、金は要らない」と仰います。「そこを何とか払わして下さい」と申し上げたら、「そんなに払いたければ払えば。でももうアンタとの付き合いあはこれで終わりだ。」と仰るじゃありませんか。もう何というか・・・泣きましたね。私は。そのお話の一件以来、そのオバサン、オジサンご夫妻とは親戚よりも「身内」というお付き合いをさせて頂いております。

思えば私の人生(自分の人生を語れるほど偉くはないですが)は「ラッキー」と「どん底」の間を行ったり来たりでした。「どん底」は息子を脳腫瘍で亡くした時と、西荻窪のリスドォル・ミツを泣く泣く手放した時でした。でも「ラッキー」な時代は正にこの1年半の間ではないでしょうか。二年前の3月に手術の為入院し、その前から懸案であった「会員制ベーカリー」を旗揚げすることができました。そして6月末に山梨へ移住。8月末に開店。そして12月中旬には継承者と目している男性が新たにスタッフとして加わりました。

本当の本物のパン・・・それはまだ私には回答が見つかっておりません。でも昔読んだ本「クロイツエル・ソナタ」の中に「理想は、追い求めて、さらに追い求めているうちに、必ずや具現化される」という一節を励みに“無添加パン道”をやってまいりました。最初は多くの妨害にあいながらも「発酵促進剤。乳化剤」の使用を禁止にしました。爾来、現在は化学物質である食品添加物の排除、自然酵母の追及などなどをやってまいりました。ですが3・11の事故以来、国内産の小麦粉、牛乳の調達先の変更を余儀なくされました。本当の本物のオーガニックの原材料を探すために米国―コロンビア(ボゴタ)-サンタマルターフランスーイタリアースイスーオランダーフィジーなどの国をめぐり、ついには地球二周分してしまいました。今も本物のヴァニラを採取するために今年は二回もフィジーに参りました。個人の限界です。でもますます、まだまだ、頑張ります。

なんで頑張れるか、を申し上げましょう。身近な者を、息子を脳腫瘍で亡くしたからです。先妻との間の子供でした。彼が小さいころに離婚した為か、中学校、高校で辛辣な虐めを受け高校を退学しました。でも高卒検定をうけ、いったんは社会にでて本人が30歳の時理科大学の夜間に入学しました。その時、脳腫瘍を発症しました。発見されたとき、私にはどうすることも出来なかったです。これからも無添加パンを大事に思ってくれている方々のために頑張ります。そして私が「パン道」に励むことが、唯一、彼の供養になると思うからです。私には協力して下さる会員様がいらっしゃいます。私には強い応援団がいらっしゃいます。ですから頑張れるのです。

来年もよろしくお願い致します。

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1月15日(火)までです。
「会員制ベーカリー・デッセム」第五期入会のご案内
https://dessem.jp/member/