お思い起こせば一昨年6月30日に、26年間パン屋をしていた東京杉並から山梨県富士川町に引っ越してきました。

お思い起こせば一昨年6月30日に、26年間パン屋をしていた東京杉並から山梨県富士川町に引っ越してきました。私は東京生まれの東京育ちですが、父は旧塩山市上竹森の出身で母方の祖母は都留市瓜生の出身です。父は今からだいぶ前に小学校の卒業を待たずして東京のパン屋に丁稚奉公に出されました。笹子峠がまだスイッチバックの線路で、汽車の時代です。父は5歳の時に父親(私の祖父)を亡くし、それ以来大勢の兄弟を母親(私の祖母)の手で育てられました。

  両親は出来の悪い息子三人とブスな娘一人を育てましたが、今から10数年前に他界しました。父は自分の父親が亡くなったのは家にお金がなく貧乏で、医者にも見せられなかったことをずっと悔やんでおりました。自分の子供の一人は医者にするという信念のもと、朝から晩までというより晩から晩まで働き一人の息子を医者にしました。父の執念にも似た願望は凄まじく、今では私の甥と姪全部で4名が医師をしております。決して人様に自慢できるような父親ではありませんが、“山梨県人としての誇り”をいつも胸に秘めていた人でした。

  そんな私が右も左も解らなかった富士川町に引っ越し、現在のようなパン屋を開業できましたのも地元の皆様の熱い応援を頂いたからです。私どものような無添加パンに不可欠なものは自家培養した自然酵母です。その自然酵母に必要な葡萄は富士川町の葡萄園様から頂戴しております。その葡萄で発酵液を作り、数種類の粉をまぜて数日すると自然酵母が出来あがります。またパンに練り込むトマト、キュウリ、そしてトウモロコシなどたくさんの農産物を頂戴しております。今日、お店を構え、全国に宅配をし、そして更には「道の駅・富士川」で販売できますのも地元の方々のご支援があっての事と感謝しております。本当に有難うございます。

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