デッセム、この1年振り返ってみて:
えっ、まだ1年9カ月しか経っていないじゃないですか!というのが“かかりつけ医”の先生の感想でした。西荻窪の医師からの「報告書」を読んでの、山梨県富士川町の医師の方(先般書いた高円寺生まれ、東京医大出身の方)のお話でした。そうです。まだ1年9カ月しか経っておりません。あの大きな手術、腹部大動脈瘤のステントクラフトを入れ、その中央部に人工血管を入れた手術。5時間近くも掛かりました。
1)デッセムにつきまして。
デッセムを開いた経緯、そして西荻窪から山梨に移住した経過を昨年の12月15日ごろに書いた長文のFBへの投稿をご覧頂ければご理解いただけると思います。簡単に掻い摘んでお話ししますと、私は一度会社を潰した人間です。3・11以降の放射能の問題があったにしても、会社を閉鎖するというのは社会に対し、またその時雇用していた従業員に対し申し訳が立ちません。端的に言うのなら、放射能のことなど知らんぷりしてそのままパン屋を続けることが“社会正義”なのか、それとも放射能の危険の少ない地で新たにパン屋を創業するのが“社会正義”なのか、正直、迷いました。
金持ちだけが美味しくて安全なものを食べ、お金のない方はマアマアのもので安全なものでないものを食す、という世の中がオカシイと思いました。少額でもそれなりにお金を出し合っていけば、少なくともパンだけはユートピアに近いものが食せる、そんな世の中になったら幸せだと思います。そして行き着いたところがロウ・ベクレル、ノン・トランスファット、そして完全無添加という考えでした。
くどいようですが、その考えを踏襲するためには大変な苦労を今もしております。ロクデナシ政府が決めた暫定基準値なるものは穀物類の場合100ベクレルでした。でも1ベクレルは人体の70億個もの細胞に影響を及ぼすと言われております。ですので可能な限り0,00の単位までベクレっていない原材料を探しました。そのため、当初の思惑とは違って「高い」パンになってしまっていることを、再び皆様にお詫びしなければなりません。
2)宣伝が下手なんです。
皆様にデッセムをご理解頂きたい、と思いながらも廣瀬は宣伝が下手です。高い「入会金」に高い「パン代」、入会を躊躇なさっている方の中にはこのような考えの方も多くいらっしゃると思います。自然栽培の粉、そしてオーガニックの国産小麦粉をブレンドしているだけでもかなりコストがかかってしまいます。しかも五大原材料は秋田の「べくれでねが」さんにお願いし、放射能検査をしております。
一つここでお断りしておくのは、なにも「会員様」になって頂かなくても、月に一回行う「一般販売」をたまにご利用いただくだけでも私どもは有り難いと思っております。勿論、会員様になって頂くのが一番有り難いのですが(笑)。いろいろな事情で今すぐ会員になれない方、またシングルで経済的に余裕が、と言う方々も大勢さんいらっしゃると思います。でもロウベクレル、無添加のパンの社会における有用性を御認識頂くだけでも構いません。
今までの活動の中で
6月中旬―――全国のシングルマザーの方に「無料パン」の呼びかけをしました。
7月中旬―――山梨県内のシングルマザーの方に「無料パン」の呼びかけをしました。
いずれも宣伝が下手なせいか、全国が20件、山梨県内は3件という形で終わりました。ただ新宿、横浜、三重の「こども食堂」さんには、今年1年間で三回づつ、少しまとまった量のパンをお送りしています。
宣伝が下手なため、、、正直に言いますと「あのパン屋は詐欺師」、「高い会費だけ集めてドロンするつもりらしい」、とか「パンを利用した新たな錬金術師」という噂を一部SNSで流されたりもしました。一歩一歩確実にパン道を進んでいるだけに過ぎないのですが、心無い噂に悩まされました。この文章をお読みの方の中で、本当にデッセムの宣伝をしてやろう、と思った方は廣瀬にご一報ください。大したお礼も出来ませんが“少量のパン”でお礼させて頂きます。
3)デッセムの現在
デッセムの設立意義の中で、創業―維持―運営―存続―継承というのがありました。具体的には将来的に、石釜でのパン焼成、シングルマザー及び障がい者の方の雇用、等々が挙げられます。でも実際には前にもお書きしましたように一歩一歩着実に歩を進めていかねばなりません。また特に明記はしていないのですが、「真の無添加パンの普及」という事が挙げられます。
今年の8月中旬、全国の有志の方々10名様にお集まりいただき、三泊四日で無添加パンの講習会をやりました。中には二名のプロの方もお見えになり、現在は無添加パンに精進して頂いていると思います。またこれは何回かFBにも書いたのですが、全国の社会福祉施設でパンをお作りになっていらっしゃる所へは、交通費だけで廣瀬がお手伝いにお伺いする、と申し上げているのですが、これにはまだ応募がありません。でも数年前にカンボジアのバタンバンにあるHOCカフェという施設にお手伝いに参りました。
「継承」という点につきましては、今から丁度1年前に浅井さんという30歳の青年が手伝ってくれるようになりました。彼は埼玉生まれで長いこと福岡で電気関係の仕事をしておりました。人を褒めるのは苦手なのですが、、、この彼が目先がきく、というか、先々の仕事の手順を段取り良く決めてくれます。この浅井さんにデッセムを継承してもらおうと考えております。早ければ半年後です。最初はパン業界の事など大変だと思いますので、私の妻が数年付き添う形になり、私は「フーテンのパン太郎」になりたく思っております。今は無添加パンの技術は勿論の事、デッセム設立の意義等を含めて研修をしております。というか、彼も経営者の一人になっております。(絶賛、花嫁募集中!)
設立当初450名様いらっしゃった会員様も、今は150名様になってしまいました。これは一重に私の経営の才覚の無さが露見しておりますが、最初は「物珍しさ」と「ご祝儀相場」で会員様になって下さった方が多かったのだと思います。でも新しいスタッフ、新しい考えでデッセムは出発しておりますので、今一度のご理解、ご寛容をお願いします。
「会員制ベーカリー・デッセム」第五期入会のご案内
https://dessem.jp/member/
4)廣瀬の将来
廣瀬は早ければ半年後、遅くても二年以内にデッセムを退職します。その後は「フーテンのパン太郎」として、無添加パンの普及、そしてロウベクレルの材料を探す旅にちょくちょく出たいと思っております。デッセムは皆様のパン屋さんです。私は単にお預かりしているに過ぎません。デッセムに一生固執しようとはサラサラ思っていません。私の喜びは皆様のデッセムがより社会的な認知を受け、栄えていくことです。
私はパン職人として些か歳を食いました。来年68歳です。今は会員様はじめ皆様のご厚志で生かされております。生来頭が悪い私は、巷の先生、ジャーナリスト、評論家と言われている方々とは比較にならないくらい論拠も論理も乏しいのです。でも45年間、食品加工の製造現場にいた、と言う自負心はどなたにも負けません。従いまして私の使命は「真の意味の無添加パン」を広めること、と認識しております。ですからこれからは、早く人材を育て、日本は言うに及ばず、海外でも「無添加パン」を広めていきたいと考えております。
5)最後に:
その昔、江戸の馬橋村(現在の杉並区)に大谷勘助という方がいました。この大谷さんは馬橋村に7軒しか家が無いとき、時の役人が過酷な年貢を納めるように農民に要求した際、自らが先頭に立って過酷な年貢の徴収を止めるよう申し入れしました。その後、この大谷さんが中心となり、現在の神田用水、桃園川護岸工事、井の頭の河川整備を行ったそうです。私はこの大谷勘助さんを見習います。因みに大谷勘助さんは私の母方の祖先です。
皆様のご厚志で成り立っているデッセムを、今は命を懸けて守ります。皆様が食すパンを、せめてパンを、あらゆる農薬、食品添加物、放射能から守ります。人から何と言われても「無添加パン」を守ります。心無い噂にも耐えて見せましょう。